番外編<6>「ひこにゃん」 彦根


【来場者に囲まれるひこにゃん(彦根市で)】



 ◇地元の応援 福招く

小雨が降る中、彦根城博物館の縁側の陰から、赤い兜かぶとをかぶった猫がひょっこりと姿をのぞかせた。


待ってましたとばかりに、集まった約100人の来場者から歓声が上がった。「あ、ひこにゃんだ」「かわいい、こっちむいて!」


わずか2、3段の階段をのそのそと上がり、短い腕で刀や旗を振ってポーズをとるひこにゃん……。その一挙手一投足に皆の口元が緩む。


なぜ、これほど人を引きつけるのだろう。誕生当時から見守ってきたという北風写真館(彦根市本町)の代表取締役、杉原正樹さん(57)は、「やはりあの見た目でしょう。思わず顔が緩み、幼児言葉で話しかけている自分に気がつく」と照れくさそうに話した。観光客も「のほほんとした顔がいい」「癒やされる」と言う。


見る者の心を和ませる何かがあるのだろう。「ネコと兜いう組み合わせが、意外性がありながら、絶妙に似合っている」という声もあった。


「現地になじみ深い素材を使い、見る人が優しい気持ちになるデザインにしようと思った」と話すのは、生みの親である大阪市のキャラクター・デザイナー、もへろんさん(30)だ。「彦根城の別称から『金の亀』とか、『観音様』などの案もあったが、結局、今のデザインに落ち着いた」と打ち明ける。


地元の夢京橋あかり館の館長、藪田清氏さん(63)には忘れられない光景がある。彦根城築城400年祭でひこにゃんが登場し、同館を訪れた時だ。100人以上の観光客らに囲まれ、大混乱になった。


「これは大変な人気が出るぞ、と思った」と言う。それに、ひこにゃんは彦根の歴史、伝承を体現しており、「地元住民にも、みんなで応援しようという雰囲気があった」


周辺の商店街は、ひこにゃんをデザインした旗や人形などを通りに飾り付け、全面的にバックアップした。


おみやげの売れ行きも女性を中心に好調で、新商品が出るたびに買いそろえていく“コレクター”も現れた。


あかり館で働く中堀千恵子さん(57)は「4月13日のひこにゃんの誕生日に、毎年いらっしゃる方も。私たちにとっては、お客さんを招いてくれる福にゃんこですね」と笑った。


最近の彦根城の入山者数は年間70万~80万人。ひこにゃん登場前の2倍近くに増えた。地域の活性化に果たした役割は大きい。


しかし、歩みは、常に順風満帆だったわけではない。06年のデビュー後まもなく、彦根市は作者から、著作者の意図しない性格付けをしたとして、使用中止を求められた。その後、ひこにゃんに酷似した別のキャラクター・グッズが販売され、今度は市が販売差し止めを求めて提訴した。


ただ、地元の受け止め方は冷静だ。ファンだという彦根市の女性は「あの騒動で、さらに有名になった側面もあると思う」とほほ笑んだ。


ひこにゃんには毎年、たくさんの年賀状やバレンタイン・チョコが届く。時節を問わず、手紙も寄せられる。ある病気がちの女性の手紙には、「ひこにゃんに会うためにがんばったよ。また元気をもらっちゃったね」とあったという。


赤い兜をかぶった愛らしい猫は、もはや仕掛けた側の思惑を越えて、1人で歩き始めたように見える。(松久高広)

 

◆ひこにゃん

2007年に彦根市で開かれた「国宝・彦根城築城400年祭」のPRキャラクターとして誕生。彦根藩の2代藩主・井伊直孝を雷雨から救ったとされる「招き猫伝説」と、井伊家のシンボル「赤備え」の甲冑かっちゅうから着想を得た。第1回「ゆるキャラグランプリ」(10年)の記名投票で1位になったほか、パリ郊外で開催された日本文化の祭典「ジャパンエキスポ」(13年)にも参加した。



2015年3月3日(YOMIURI ONLINE)



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